被爆体験を聞く会

7月14日(水)

お話;被爆体験証言者     梶本淑子様

飛行機が飛んでくると、
防空ずきんをかぶって、救急用具を持って
避難したんですよ。

戦争の悲惨さを感じ、「平和」であることの幸せを感じた時間でした。

「はだしのゲン」は本当のお話なんですか。
「本当のことですよ」

Home

家に向かう途中、片手がなくやけどした人や
全身やけどで亡くなった赤ちゃんを抱いて
さまよう人を見かけました。

私をさがしに来た父と途中で会うことができました。
でも、私をさがすために、爆弾の落ちたところを
歩いた父は、放射能におかされ、1年後に、
血を吐いて倒れ、亡くなりました。

やけどして、体が熱かったから、
「川に飛び込め」と言われ、
たくさんの人が、川に飛び込んだんです。
でも、ちょうど川の水が多くて、
流されてしまう人が出ました。
必死で、石垣にしがみつくのですが、
つかんだ指の爪がはがれ、
たくさんの人が亡くなりました。

ここは、7万5千人もの人の骨が
埋められたお墓です。

私は、市の北にある飛行機の
プロペラを作る工場で働いていました。
爆弾によって、一階がつぶれて、
下敷きになったんですよ。何とか
友達とはいだしたんです。その後、
火事になると大変だから、骨折して
いる他の友達を運び出したんです。

中学・高校生は、火事になった時に
火事が広がらないよう道を広げる
工事をしていたんです。
原子爆弾が落ちて、一瞬ですべてが消えたんです。

キノコ雲ができて、その後、
黒い雨が降ってきたんです。

小学校3年生から、田舎の方へ
集団疎開をしたんです。
親から離れたくないと
泣いていた子もたくさんいました。